●秋田県能代市 15時4℃ くもり

震災2日目の朝。3月12日。

両親は朝ごはんも食べずに妹を公民館へ迎えにいきました。


私は近所を歩いて一周して情報収集。
近所のみんなはどう一夜を過ごしたのか…
家のすぐ近くの集会所にも避難してきている人がいたようでした。

近所の娘の同級生のお母さんと話をして学校の体育館で一夜を
過ごした人。子供…高校生や大学生の子供さんが仙台の中心部から
歩いて帰ってきたという話。
遠くで石油コンビナートが燃えている。


両親と妹が帰ってきました。
やはり、義弟の姿はなく探していると役場に届けてきたという。

妹の話を聞くと渋滞と冠水のため、車をパチンコ屋の駐車場に
置き、歩いて公民館まで行ったというのです。
公民館に着いたのは日付が変わる頃だったといいます。


その後、父と妹はパチンコ屋に車をとりに行ってきました。
それから、近くの病院に義弟を探しにいきました。

私はとにかく家にいて、子供たちと姪を見ながら、近所での
情報収集。
そして、ラジオからの情報収集。
ラジオでは仙台市の情報が多い感じがしました。

我が家では非常用の持ち出し袋や食品、水を買い置きして
いたので昼に食べてみました。
石灰で暖めるタイプのその非常用の食品。牛丼、カレー、
ビーフシチューがあって、準備していたのは4人分2日分でしたので
先のことも考えて2人で1個食べました。

それから、携帯電話が圏外の状態、水道も夜には出ていたのが
断水になりました。

暗くなるともう活動はできません。
早く寝て、次の日に備えなければなりません。
余震が怖いので枕元にすぐに持っていけるように大事なものを
そろえておきました。

足に怪我をするかもしれないので、スリッパ、ルームシューズは
かかせません。

飲み物も必要です。



3日目。3月13日。
持病を持っている両親を近くの病院へ行かせました。
保険証などがなくても診察してくれたり、薬をもらえました。

途中、同郷のSちゃんの家に寄ってSちゃんの家族が無事だと
伝えるように話ました。

妹は自転車で義弟の両親の家などに行きました。
私は近くの給水場へ水を汲みにいきました。

主人は近くの会社の営業所で情報収集。

両親は近くの親戚の家でご飯をたいてもらいました。

そしてカセットコンロを借りてきて、お料理をしました。
暗くなる前に夕飯を食べて。
寝る。

まだまだ余震は多く心配です。
しかも、福島第一原発がたいへんな状態になっています。
心配はたくさんありました。


4日目。3月14日。
主人の提案で山形へ買出しにいくことにしました。
幸いにも震災前にガソリンを満タンに入れていました。

必要なものを書き出し、買い物。

ジャスコの開店に並んでいたので、並んでいたら前後の人に
売り場を教えてもらったり、カセットコンロのボンベの情報を
いただいたり…

そして携帯を充電したくて、車から充電できるケーブルを
イエローハットに探しにいきました。
あまり在庫がなかったのですが、本来、携帯に入っている音楽を
車で聞くためのものが充電に使えるかも…と店員さんがみてくれました。
そして、仙台から買い物に来たと話すと水道水を分けてくれました。
暖かいコーヒーをいただいて、そして鶏肉の照り焼き、そしておにぎりを
いただきました。
人の暖かさを感じました。
涙があふれてきました。

電池も山形にはなく、飛び込みで入った写真屋さんが使い古しだけど
もしかしたら使えるかも…と分けてくれました。

たくさんの方に助けていただきました。

そして、日帰り温泉でお風呂に入りました。
久しぶりでとても気持ちがよかったです。

そして夕方、スーパーで夕飯を買って帰りながら、食べました。

帰りながら、原発の情報をラジオで聞きながら、大変な問題に
なっていて、心配でした。

福島第一原発から仙台は約100km。
放射線がこちらまで来ている。

大人はあまり影響はないかもしれないけど、子供には影響が出る
かも知れない。
心配です。心配しすぎかもしれませんが、子供の将来を思うと
心配でした。




5日目。3月15日の朝。
主人は自分の単身赴任先の能代にみんなで避難しようと言い出しました。
せっかく助かった命。
これを守らなければなりません。

みんなで能代に避難しようと決断しました。
一台の車にみんなで乗って、荷物はほんの少し大事なものを持って
着替えは一組だけ持ってまずは山形へ行きました。

そして、主人の会社の営業所に寄って情報収集。
道路はどこが通れるか?
ガソリンは入れられるのか?

国道沿いのガソリンスタンドは長蛇の列。
なんとかガソリンを入れて能代まで行くことができました。

途中、原発の爆発の報道。
たいへんなことになっている。
菅総理の会見。
ラジオで聞きながら、ぞっとしてしまいました。

風は風向きは?
仙台への影響は?
心配になって胸が締め付けられそうです。

能代に着くと、とりあえず、寝る場所があって、水もあって
電気もあってなんて幸せなのでしょう。

とりあえず、みんなで寝ることができるようにお布団を
買ってきました。
日本海側は余震を感じることもなく安心して寝ることができした。
ただ、心配なのは原発の今後でした。

妹も連れてきてしまいましたが、義弟のことも心配です。
心がつぶれそうでした。

6日目。3月16日。
いろんなものを買出しに主人のアパートには台所用品が全くありません。
それに着るものもほとんど持ってきませんでしたし、いろいろ買出ししました。

主人は会社へ行きました。
少し、帰りが遅くやはり震災で会社も混乱しているようです。


夜に友達のSちゃんから電話があって、義弟が最後に話していた
実家のお隣のおばさんの遺体が見つかったというのです。

つらい知らせでした。

みんなに話さなければなりません。
そして仙台に戻る手段を考えなければなりません。

主人が帰ってからみんなに話しました。

どうしても仙台に帰りたいという妹。
その気持ちを尊重してあげたかった。
なんとかJRの走っている酒田まで行って、そこからタクシーを
乗り継ぐというルートを確認して翌日、両親、妹、姪を電車に
乗せました。

原発の事態が悪くなったら風向きを考えて逃げるように話しました。

私の気持ちも重い、悲しい…複雑な気持ちになりました。


仙台に着いて、妹たちはいろいろ回ったそうですが、義弟らしい人は
見つかりませんでした。


今も彼は見つかっていません。


私はいつ仙台に帰れるのだろう…と思っています。
子供たちの学校もあります。
原発もまだ深刻な状態です。
両親や妹のそばで支えてあげたい。

どうしたらいいのかわかりません。




★今日の歩数 2559歩(目標:10000歩以上)
 近くのスーパーまで歩きました。
★今日のエクササイズ量 1.2(目標:3.3以上)
★昨夜の造顔マッサージ○
★蜂蜜 朝○ 晩○
 
☆人気ブログランキングに参加しています 人気ブログランキングへ